脳腫瘍を患った僕

小脳血管芽腫という 稀な腫瘍を患いました。闘病記を綴っていこうと思います。誰かの力になれれば幸いです。

〈隣ベッドの男の子〉

同室の隣ベッドの小学生の男の子の退院が決まりました。

退院と言っても、その男の子もリハビリ専門病院へ転院だそうで

僕が転院する予定の病院と同じで

転院する頃には、介助なしで歩ける様になり、話す事も出来るまでになっていました。

毎日お父さんの支えがあり

一生懸命リハビリを頑張っていたからだろうと思います。

結局、男の子と話す機会が無く

お父さんとは話す機会があったので、少し話をしました。

お父さんは僕より少し歳上ぐらいで

看護師さん達が噂をするぐらいイケメンで、優しい感じの方でした。

お父さんに聞いた話しだと

入院する前の症状や腫瘍が出来てしまった場所が僕とほとんど同じで

男の子も2回程手術を受けたそうです。

ほんの少しの腫瘍の場所や手術で切開した場所が違うだけで

失語症になってしまったり、麻痺の程度が違ったりと

脳の病気は本当に恐ろしいです(+_+)

失語症とは簡単に説明すると

自分では物事が分かっていても、物の名前や言葉を忘れてしまい言葉に出来なかったり

物の名前が分かったとしても、その物は何に使用する物なのかを忘れてしまったりと

本人は、とてももどかしい気持ちになります。

男の子は術後の後遺症で失語症を患い

もどかしさで涙を流していたそうです。

それを見たお父さんも、とても辛かったと思います…

お父さんは『出来る事なら代わってあげたい』と言っていました。

僕が病気になった時、僕の妻も『私だったら良かったのに』と言ってくれました。

その言葉がどれほど嬉しかったか(;_;)

しかし僕の母親は全くの逆で、僕と姉が病気になった時に言った一言が

『私じゃなくて良かった』と…

耳を疑う言葉にかなりショックを受けたのを覚えています。

思い出すと怒りの様なものが込み上げてきます(ಠ_ಠ)

話は戻りますが

男の子のお父さんの話によると

住まいは別の市だそうで

入院している大学病院から、車で3時間近く離れている所

住まいのある市の大きな病院では

20歳以上でないと入院·手術を受入れてもらえなかったらしく

行く宛が無く大学病院に来たそうです。

有休を全て使い、付き添っているんだとか。

同じ悩みを話せる相手が居て良かったと心底思いました。

何の悩みだったにしろ

同じ悩みを話せるというのは、とても心強いです。

転院先のリハビリ専門病院に先に行って待っているとの事。

僕も1週間後には転院予定なので

とても楽しみにしていました。

しか〜し、またしても事件が…(゜o゜)

事件の真相は次回書こうと思います。

それではまた!


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